でぃっく カナリヤ 11/07/22

フマキラーの暑中見舞いがイケてる。








11/07/11

【獏原人村 2011満月祭・日程】








11/07/08

ノーベル化学賞受賞者・野依良治氏のメッセージ(GLOBE掲載)

 よく科学技術という言い方をするが、「科学」と、それを使った「技術」は本来異なる。科学は真理の探究。一方、技術は社会的な価値観や要請に基づいており、決して中立的なものではない。原子力エネルギー技術を考えるには、社会をつくっている私たちが「何のために生きているか」をまず考えなければいけない。
 個人にとっては、自己実現のために色々な目的があるだろうが、人間が生きる大きな意味は世代の継承、つまり種の存続だけでなく多様な文化の継承である。生物は37億年、人類は十数万年にわたり自然の恵みを受けて生き続けてきた。そのうち、わずか250年が現代文明で、人類社会は生きるすべとして科学に基づく技術を選択した。
 20世紀の偉大な技術革新には自動車や航空機、電話技術、宇宙衛星、インターネット、石油化学技術などがあり、医療や発電に使われる原子力技術もその一つだ。いずれも大きな社会的恩恵をもたらしたが、必ずリスクを伴う。我々はそのバランスの上に立って生きている。これからの科学技術も人類社会や国の存続、そして人生の豊かさに貢献するものでなければいけない。経済至上主義は排すべきだ。
 私自身は原子力発電を今後どのように社会に組み込んでいくべきか明確な答えを有していない。しかし、化石資源もウランも有限であり、急激に増大する人類がエネルギー源とし続ける限り、早晩枯渇することは意識しなければならない。
 エネルギー問題を政策として考えるときに大事なのは、エネルギーの安定供給と環境への影響、そして経済活動のなかでの位置づけだ。激動する国際社会における我が国の存立の観点から、この難しい連立方程式を大局的に解かなければならない。極端な原理主義では立ち行かない。

 2009年に当時の鳩山政権は、2020年までに1990年比25%の温室効果ガスの排出削減に取り組むことを国際公約に掲げた。菅政権は今年5月のG8サミット(主要国首脳会議)で2020年代のできるだけ早期に再生可能エネルギーをエネルギー源全体の20%に引き上げると約束した。これらが科学的、技術的、あるいは産業政策を含む社会政策的に確信を持って宣言したことならば、おおいに評価したい。我が国のエネルギー自給率はわずか4%だ。目標の実現には政治の不退転の覚悟と、国民の認識の共有が必要だ。もし政治的なキャッチフレーズで終われば、日本の信頼は失墜し、国力も衰退するだろう。
 期待される自然エネルギーには課題もある。エネルギーは新しく発生させることはできず、形の変換ができるだけだ。あらゆる自然エネルギーは薄く分散していて、集めて安定供給することは簡単ではない。太陽光発電の設備稼働率は12%程度にすぎない。風力は、景観劣化や騒音、低周波健康被害をどうするか。一方、原発の電力供給力は大きいが、果たして巨大な天災や多様な人災に耐えられるか。天災に対する安全性や廃棄物の処理、環境汚染の低減は国際的な評価制度導入や技術の力で相当向上できるだろう。しかし、核物質拡散やテロの脅威なども含む人間側の危機管理の問題が存在している。政治的、宗教的対立、あるいは貧富の格差が広がっている状況では、人的管理リスクを排除することはますます難しくなっている。国を超えた深刻な問題だ。
 ただ、人間による危機管理の限界を理由に脱原発の道を選ぶのなら、はるかに巨大な影響をもたらす核兵器も廃絶しなければ整合性がとれない。逆に、核兵器を容認している多くの国は原発を持ち続けるだろう。地政治学的、文明論的な見地も含めて総合的に考えることが不可欠だ。世界で唯一、原子力技術の軍事利用、平和利用の双方による被災を経験した我が国は、現存の原子力技術を前にして人類存続のために、あるべき姿の実現に指導力を発揮しなければならない。そのための外交発信力は十分か。

  忘れてはならないのは、エネルギー政策の一環たる原発は一定の民主的手続きを経た社会の意思決定であることだ。濃淡はあれ電力の恩恵を受ける国民全体が責任を負わなければならない。エネルギー消費抑制は、国力を支える「ものづくり」の産業構造にまで切り込まざるを得ない。空洞化を補完する金融やサービス業は低エネルギー消費産業だが、我が国の国際競争力はいかほどか。国力の低下は避けられない。大量電力消費に依存した社会構造の代償はあまりに大きい。
 科学は社会のためにある。しかし、しばしば移ろう政策の下僕ではない。政治が性急に将来の自然エネルギー社会の将来の姿を描いても、科学者や技術者は過度な要請には困惑するばかりである。巨額の政策的投資がなされても、与えられた20年程度の時間との競争に勝てる保証はない。たとえば、常温超伝導技術による大容量電力の貯蔵や送電はクリーンエネルギーへの大きな夢である。しかし、いかなる卓越技術もまず地道な基礎研究による新たな科学原理の発見が不可欠で、さらに新材料の発明で技術が実現したとしても、実際に社会で実践されるまでにさらに厳しい道程が待ち受けている。
 重要なのは、科学者と「政治」や「一般社会」との対話だ。科学者社会は政治に対して信頼のある提言をしなければならないし、政治も科学的な正統性を持ち、その提言をねじ曲げてはならない。
 一般社会との対話も大切だ。我が国人口1億3,000万人のうち、研究者や技術者は71万人、うち大学や公的研究所にはわずか18万人。科学者としての反省は、あまりにも狭い自分の専門の社会の中だけで会話をしてきたということだ。科学者と一般社会が常に対話し続けることが望まれる。
 インドの指導者、マハトマ・ガンジーはこう言った。「Earth has enough for everybody's NEED, but not for anybody's GREED.」(地球は全ての人々の必要を満たすに十分であるが、いかなる人の強欲も満たせない)。人は皆、謙虚でなければならない。何よりも倫理観や人生観、あるいは文明観の変革が大切だ。さもなくば、限られた資源や増大する人口などの人類社会が直面する問題に、科学の進歩が対峙するには限界がある。








11/07/03

トムソンガゼルのしっぽが、たまらなく好き。