でぃっく カナリヤ   06/01/31

「エッケ・ナルキッソ・ドラコヌス・アトラクティワエー!」







06/01/31

自分が傷付くより、人を傷付けた時の方が痛かった。







06/01/26

こんな生活に憧れていた。
平穏で、誰にも頼る事なく、でも愛を注ぐ相手がいて、
程良くゆるりとし、程良くきりりとす。
そんな生活を送るうちに、世界の幸せや後世の幸せを考えるようになった。
強いられる事なく自発的に、今まで関わりないと思っていた人たちを
守りたいと思うようになった。
守りたいというよりは、力になりたい、力を添えたい。
また、お金に対する考え方も少し変わった。
自分が働いて手にしたお金が世の中の為になりますように、
世に生きるお金を生みだす事ができますように、と。
確かに生活してゆく為に必要なものだけれど
多い少ないなんて事はあまり考えなくなったな。
受け取る側ではなく、差し出す側として考えた方が
人生はずっとゆとりが出てくるものだと思う。きっと何事も。







06/01/26

ロマーンチックな男やからね







06/01/26

シアン40の澄んだ空に、ひどく直線的な大きな雲と、白い富士。
この景色をまたいつか見ることができるだろうか。







06/01/22

NHKラジオ第一『歌の日曜散歩』とか、超スキ。
全国の親戚同士が近況報告し合っているみたいで、素朴であたたかくて
人のスピード感覚って、こうあるべきだと思う。
私が生まれる前の話や音楽なんかも盛り沢山だけど
今受けるそれは、若い頃に感じた温故知新や新鮮味なんてものではなくて
失いたくない、失ってはいけない世界。自然と調和した生活感に心があたたまる。
そのうち、こういう空間がなくなってしまいそうな危機感が今の時代にはあるからだろうけど
このお手紙感覚をずっとずっと存続させたいと思う。
私たちは皆、空というひとつ屋根の下に暮らすファミリーなのよ。







06/01/12

カアリイは、かわいければそれでいいの。
お人形みたいなものよ。







06/01/12

なぜそうなのか、何なのか、そういったことはすべて
言葉を通じてしか理解できないことを教えてくれた。
それは悲しくて憎いことだとも思った。
言葉を失わせるためにやるんだ。
人が決めたことを破壊してるんだ。
かたちにならないものをかたちにするんだ。
だからきっと永遠に終わらないし、コミュニケーションになる。

「私は踊ることで言葉を奪い返した。」
ホント、この一言に尽きるよな。







06/01/11

ポチのにーちゃん、この辺で普通に「ミナミ」言うても分かれへんて。
相手が私でよかったよ。







06/01/09

今、うちの冷蔵庫はチーズだらけ!
狭い椅子の上だというのに、私の後ろではしっぽの先の先まで弛緩しきった天使ちゃんが眠り
ラジオではトンチキな歌声が披露されている。
必要なものは何か。分かりやすい揺らぎではなく非常に奥深く入り組んだ場所にある問題かも。







06/01/09

旅立ちの日が晴天である事は大切よね。
昭和生まれの成人式も、あと少しで終わりだね。

私は地元を離れて一人暮らしをしていたり住民票の都合もあって
成人式には出なかったし、振袖の記念写真も撮らなかった。
その代わり親にベースを買ってもらって、バンドで遊んだ。
その時ギターを弾いてたのが、この人







06/01/09

言葉もぬくもりもない日々に慣れたけど、虚しくはないの。







06/01/08

本日1月8日は玉置成美ちゃんのご両親の結婚記念日らしいんだけど
「結婚、それは一か八か」という事で1月8日、らしい。
それを聞いて、見習ってもいいかな〜と思った。
以前付き合っていた人のお父さんに
「若い頃は勢いがあるけど、遅くなればなるほど相手をじっくり吟味するようになる」
というような事を言われた事がある。
まったくもってその通りで、この先結婚するとしてもどのみち若くはないので
一か八か、くらいの勢いを持ってもいいかもしれないと思う。
8って数字は結構好きなんだ。
「8」はアンリミテッド的でしょ?永遠にグルグル回り続ける感じが好き。
「0」のサークルもそうだけど、暦は「0日」って存在しないから、唯一の「8」。
漢字で表記しても、「八」は末広がりと言うしね。
普段そういう事は寧ろまったく気にしない方なんだけど、
そういう縁起を担ぐ系で言えば、仕事なんかじゃ自分なりに心遣いのセオリーというのがあって
企業さんの仕事でデザイン的にタイトルや会社名を傾斜させたい時は、右肩上がりに傾けるようにしてる。
仕事に心を込めるって、そういう些細な事から始まると思うのよ。







06/01/08

最近、心に円グラフを書いてる。
例えば小学生が夏休みなんかに1日の予定をグラフにする感じ。
大抵毎日は決まってる。仕事12時間、睡眠6時間で、残りは6時間。
その6時間をいかにして使っているかという事を考える。
6時間といえば結構長い気がするけれど、実質身支度や出社帰社で既に2時間近く。残りは4時間。
天使のお世話をさせてもらってる、それが1時間。残りは3時間。
洗濯、掃除、食事、新聞を読む、それらは大抵何かと何かを同時進行。あとお風呂。(これはハッキリした時間が掴めない)
Macは毎日つけるから合間合間で合計1時間くらいにはなるのかな。
つまり、とにかく正味4時間が勝負。やるべき事から片付けて、ほとんどじっとしていない。
テレビを見るとかゴロンと横になるなんて事は一切ない。
それでも足りない24時間を嘆く事なく、何ができるのか、愛をもって実践しているし
今よりもっともっと有効に使いたいと思うから、毎日心に円グラフを書いて省みる。







06/01/05 第五十七吉

妹と狛犬様と共に毘沙門天詣り。
お賽銭を投げて手を合わせる時、私は何も考えていない。
祈ったり願ったりするどころか、まったくもって無の状態だった。
「世界中の人々が幸せでありますように」と祈ったのは徹夜をしている12/29〜30にかけてだった。
何があるわけでもないのに突然そう思って、祈った。
上り坂に歩をゆるめる私をよそに狛犬様は山を平然と上り、平然と下りた。
行きは長く、帰りは短い。
下りる時は妹に促され石投げをした。投げた石が転がらなければ想いが成就するという。
ここでも何も考えないまま石を投げると、それは転がる事なくピタッと止まった。
「わー!」と驚く妹に「当然」と言った。
静かな夜の事だった。
無欲に生き、しかし耐え難い程に自らを阻むものとは潔く決別する。それが私の2006年。