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05/12/28 テレビのない生活を始めて3ヶ月。 最近ラジオを聞くようになって、やっとそのロマンが分かってきた気がする。 あちこちから集められた音を拾うこと。チューニング(もちろん手動)はロマンそのものよ。 スイッチひとつで決定できる便利な世の中なんて、とってもつまらない! いい加減目を覚ましたらどう? 時代は進化してるつもりでいるけれど、本当は退化しているわ。 だってそうでしょう?使わない部位はどんどん衰えるばかり。 与えられたものを活かすその方向性が間違ってる気がするのよ。 このままじゃ後々、禁断の実を食べた時のようにヘビが笑うわよ。 だってその光景がありありと見えるもの。すごく感じる。 2005年の締めはこんな感じでどう? 私、最後には笑ってやるから!絶対負けない! 05/12/26 昔貧乏今金持ちと昔金持ち今貧乏は気品が違う。 05/12/24 天使は薬 私の病気にはウルソよりもハナが効く。まさに神の使いなの。 05/12/21 さっき、月が目を開けた。 05/12/21 不要な本やCD、DVDだとか書き損じたハガキだとかで人を救う事ができるでしょう。 無駄にゴミを増やすなんてもってのほか。 http://shaplaneer.org/ 05/12/21 武藤敬司は、富士の国やまなし観光大使なんです!(山梨出身) 05/12/18 変光星 ケフェウス座のデルタ星は5.4日周期で1等級の明るさを変えますが くじら座のミラは現在最も見やすい位置にあるにも関わらず肉眼で見ることができません。 3月になると2等級の明るさになるので西の空に見ることができましょう。 「ステラ・ミラ(不思議な星)」から名付けられたこの星は300日の周期で明るさが変動しています。 あたたかい春が近づけば、虫や花と共に出会う何かがありましょう。たとえ今は見えなくとも。 05/12/18 カトマンズを飛び立ち、迫り来るはランタン・ヒマール。 ガネッシュ・ヒマール、ヒマルチュリ、ピーク29、マナスル。 南にアンナプルナ・ヒマール、ガンガプルナをマナン盆地より眺む。 魅せられたフリーダム・チベット。 05/12/16 ここんとこ無理矢理書いているけれど 本当のところは書きたいことなんて何もない。 05/12/15 これは誰にも言った事がないんだけれど、しばらく気にしていた人がいた。 新聞を読んでも読んでもその名を見かけない時期があったので心配していたけれど 先日やっと再会したので書く事にした。 関係上なのか何なのか、とにかくその人と私の間には距離があって お互いずっと遠慮し合っていたから、何度会っても一線はひかれたままだった。 もちろん人間なので常に平行線とまでは言わないけれど すべてを本音で語るまでには至らず、良い事も悪い事も無意識あるいは意識的に隠して 当たり障りのない、良くも悪くもないような関係が続いていた。 でもある日、その人は私の頭を撫で、私を抱きしめて泣いてくれた。 背中から伝わるぬくもりで、言葉ではない声を受け止め、私も泣いた。 その時、やっと通じ合えたと思った。七百日で越えた一線。 でもそのすぐ後で、その人と会えなくなってしまったので 新聞上で会える日を待っていた。 女同士は言葉を使わず会話する。それがあの日感じた事。 05/12/14 天使は「花」ではなく「愛」と名付けるべきではなかったか。 はなは「花」ではなく「はな」だけど、 愛そのもの、LOVEそのもの。 信じられないものが増えてゆく中で、生きる糧、唯一の。 それがトリガーとなって幸せを拡散する。 不幸を幸福に変える愛。 私があなたを愛しているのでも、あなたが私を愛しているのでもなく そのものなのだわ。そしてそれこそが真実なのよ。 ストーリーは私とあなたの間にしか存在しない。あとはすべて贅肉の風情よ。 黒い愛の塊がなきゃ私はどう生きられるというの?それはもう劣悪極まりない。 身を引きずっているわ。もういい加減疲れたよ。 無理矢理書くならそんな近況。実際はもっとドロドロしていて、もっと軽やか。 貴を貫きましょう。たとえどんな事があろうとも。見失ったら終わり。 05/12/11 大好きな先生が亡くなった事を1年近く後になって知った。 先生はネクタイの趣味がとてもよかった。 先生は向こう見ずで生意気な発言に大らかなエールを送ってくれた。 小さな先生はものすごくアナーキストでカッコよかった。 すべてにおいて両極端のいずれをも持っていた。 とても面白くて、とても尊敬できる人だった。 先生、私はあんな事を言っておきながら何者にもなれていません。 だけどしっかり生きています。人として美しく生きる事を極めようと思っています。 先生は楽観的で適当で、とてもシャイなのに底抜けに明るい。だから泣けるんです。 http://www.kan-art.net/ 05/12/11 星新一は作品同様、とても愉快な人だった。尼崎に住んでいたころの小松左京さんに送ってくる手紙の住所には「尻崎」と書いてあった。「尻」じゃなくて「尼」だよと電話で小松さんが言うと、「七」より「九」の方が「数が多くて縁起がいいと思った」という。次の手紙には「屁崎」とあった。また電話すると「忘れないように七を二つ書いておいた」。 (引用元:山梨日日新聞11/17付『文人往来』小松左京が語る星新一) 05/12/11 永積くん、改めて君はすごいと思うよ。 |