カメラ 

今持っているカメラは一眼レフがNikonのF50、デジカメがFUJIのFinePix F601、ポラが600。(ついでに携帯カメラはauのW33SA)
初めてカメラを欲したのは小学校中学年くらいの頃だったかな。どうしても欲しくて、おこづかいで買ったのはFUJIのコンパクトカメラだったと思う。
機械が苦手な人でもすぐに扱えるような一般向けプラスチック製のAF機で、そんなに小難しいものではなかったし、値段だって1万円もしなかったはず。それを持ち歩いては写真を撮っていた。
それが関係してかせずか、中学へあがるとまず写真部に入った。
写真を撮ったり、それを自分で現像できる事を楽しみにしていたけれど、体育会系の部活が球拾いから始まるように、しばらく講義ばかりが続き、 そうこうしている間に吹奏楽部に惹かれ、たぶん1年も経たないうちに転部したと思う。
そしてしばらく写真とは縁なく数年を過ごし(使い捨てカメラを使って、学校で友達とパチパチ撮り合うくらいの事はしていたけど)、大学に入ってから再び写真を撮るようになった。
幸いにも私が通っていた学校には写真学科があり、それ用のお店も学内にあったので、フィルムもセピアやモノクロなど試しがてら、それなりに遊んでいた。
そして写真の授業を選択して、やっと自分で現像することができた。
その頃使っていたのはミノルタαで、父が大事にしていたものを譲り受けた形だった。
私が大阪でそれを使っている間に、父はNikonのカメラを新調した。
それを見た私はそっちの方が欲しくなってしまい、αと交換してもらった。それが今持っているF50。
デジカメを初めて手にしたのは社会人になってから。当時勤めていた会社にあったオリンパスのCAMEDIAを拝借して私生活でも使っていた。(その頃は自分で買う余裕も気概もなかった)
その頃はFinePixにとても憧れていたけど、今にして思えばCAMEDIAも結構いい感じだった。
その後、念願のFinePix(今使ってるやつ)を手に入れたけど、思ったより良くなくてガッカリ。(でも最近MFで撮るようになって「ああなんだ、いいヤツだったんじゃん…」と見直しているところ。ま、自分が使いこなせてなかっただけなんだけど…)
ポラに関する最初の記憶は、子どもの頃行ったフラワーフェスティバル。これは毎年5/3〜5/5に広島の100m道路と平和公園で行われるお祭りなんだけど、確か¥500くらいで記念撮影してくれるブースで初めてポラロイドというものを知って「うわ!コレすごい!」と思った。
自分が買ったのは大人になってから、しかもいつ買ったか記憶にないんだけど、たぶん20代前半くらいだろう。これは何となくポラの質感が恋しくなって買った。ぼやけた感じがいい。なんかユルくて和む。(でも結構、経済的に優しくないという理由で最近はめっきり使っていない)
それと似たような感覚だとLOMOという選択肢もあるけれど、私は1コも持っていない。妹がたくさん持っているけど、私は主に経済的な理由により、ここ数年はほとんどデジタルに頼り切ってる。
そうするうちに「もったいない」的な気持ちがなくなってきたんだと思う、それは景色を切り取る事や衝動や視点そのものも同じ。常にカメラを持ち歩いていた頃とは違って、完全に凡庸な社会人って感じ。
そんな私に力添えがあって、一眼レフデジカメのデビューが近づいている。
しかも父の形見レンズの再生という、心憎い手段で。
これによって、私も再生なるか。

あの日、初めてステレオから流れてきた曲を思い出すよ。
あれも再生の日だった。
「何度でも何度でも君は生まれ変わってゆける」
あの絶妙なタイミング。一生忘れないと思う。
しかもこの歌、サビの部分しかよく聞き取れてなかったけど、比喩でカメラを用いている事を今、初めて知った。

 買いっぱなし 

かなりよくある現象。
洋服も靴も帽子も小物もアクセサリーも、すごーく気に入って買ったにも関わらず、1度も着用しないまま1年以上過ぎることがザラにある。
今も買ったまま着た事のない服、かぶった事のない帽子、履いた事のない靴、つけた事のないアクセサリーなどはたくさんある。
でもやはりかわいくてどうしても欲しくて買ったものである事には何ら変わりない。
こういう現象を省みると「気に入る」とか「好き」というのは一体なんなのだろう?と疑問に思う。
いわゆる持っているだけで満足だとかいうやつ?
手に入れるまでが勝負なわけ?
No! そんなはずがないわ!
単純に、おしゃれしてウキウキしたい欲求だとか、他人に見せたいという欲求が淡泊なだけだと思うわ。
別にそんなこと気にしていただかなくても、私は私の好きな時に着ますから、という感じ。
だってそうよね、モノに振り回されたり強迫観念を植え付けられる必要なんてないもの。
身につけなくちゃ!なんてバカバカしいわ。
(いや、それ以前に自ら身につけようとしないという点が問題なのだと思う)
でも正直そんなこと、非常〜にどうでもいい。
「アレに行くときはコレを着よう♪」とかそういうの、私には全然ない。デートする時さえも、ない。
でも結局のところ問題なのはそういうことではなく、欲しいものをバカスカ買う前に収納にも気を配ってくださいよ、ということなんだと思う。

 生地 

生地は、それぞれがそれぞれに好きなんだけれども
物心ついた時からツイードやヘリンボーンが好き。
今日もJK2着、パンツ1本衝動買いしちゃって、改めて思った。
もうこれはしょうがない、性(さが)みたいなもんだね。
別段こだわってるわけじゃないんだけど、ヴィヴィアンをはじめ
ヴィクトリア調のカチッとした、でも可愛らしさのある洋服が好きさ。
(ヴィクトリア調そのものを好んでいるわけではないので、そこんとこヨロシク。)

 ゴキブリ 

HATE。
山梨という土地で大きなカブトムシやカミキリムシやカマキリを見たときは非常にうれしかったものだが、なぜかこの人たちだけはノット・ウェルカム。字面を見るだけでもうゾッとする。
かくも人間共に嫌われ邪険にされ、見つかり次第殺されるのが宿命である彼らも可哀想ではあるが、これも生態系のひとつ。
寧ろ人間の叩き程度で滅亡する事のない原始的な生命力は、人間からもたらされる恐怖など容易に上回る驚異的な恐怖をもって返してくる。
進化を繰り返して壊れた地球がいつか原始に立ち戻り、楳図さんの描いた通り、終わった後に残るものがゴキブリだとしたら、今彼らに同情する余地はない。

若いうちだよ 鍛えておこう
いまにおまえの時代が来るぞ
泣きたかったら講道館の
青いタタミの上で泣け
(村田英雄「おまえの時代」)

泣くなゴキブリ!お前の時代は来るのだから。

※「ゴキブリのような人間」に関しての見解はまた別である。